Sunny Shiny Morning 2

09/10/31up

 


 ライルが故郷のアイルランドに戻って来て、一年が経とうとしていた。
 けれど、住む家は変わっていた。
 戻って来た後に住む予定だった生家は、軍に強制接収されてしまったのだ。
 表向きは普通の太陽光発電の設備だったが、そのエネルギーが一般に回る事は無かった。
 ライルの会社も急激に軍事路線に傾き、ライルが橋渡しをしようとしていたソランの居た会社はそれに反発し、反政府施設の汚名を着せられて廃業に追い込まれてしまった。
 世間に興味の無かったライルにも、明らかに世の中が変わっているのが感じられた。
 その変わった世の中は、ライルから思い出のある家も、初めて将来を考えた女性も、愛した子供も奪っていった。
 どうしても、憎まずにはいられなかった。
 そんな時、場末のバーで一人の男に出会った。
 同じ年頃の男との会話は、その男が話し上手だったのか、妙に弾んだ。
 ライルは酒のグラスが進むうちに、その男に胸の内を零してしまった。
 彼女との別れに納得が出来ないと。
 おそらく身を隠しているのだろうと。
 するとその男は、ソランの行方を探すのを手伝うと言ってくれたのだ。
 移動の忙しさに紛れながらもソランの行方を追っていたライルには、何よりの救いの言葉だった。
 だから、その男の組織に入った。
 本音は別にその男の組織でなくても、反政府を掲げる組織ならどこでも良かったのだが、自分の都合だけを押し付けない彼に好意を抱いたのも確かだった。
 表向きは今まで通り会社員を装い、会社で仕入れられる軍の情報と、独自に潜り込める場所の情報をかき集め、エージェントとして活動を始めた。

 愛する存在が傍らに居ない事にも慣れ、二重生活にも慣れた頃に、そのメールは送られて来た。
 文面は簡潔だったが、無視出来ない物だった。
 そこには『カタロン構成員、ジーン1との接触を求む』と書かれていたのだ。
 コードネームまで知られているとなれば、内容如何によってはライルの取る行動は一つだった。
 送られて来たアドレスには見覚えが無く、差出人の『刹那・F・セイエイ』なる人物など、当然知らない。
 情報の一つとして心得がある名前だが、そんなのは少し政府に詳しい人物なら誰でも知っている名前だ。
 五年前、唯一解ったソレスタル・ビーイングの構成員の名前。
 またそのメールが送られて来た携帯は、ライルが他言していなかった活動用の物だったのだ。
 コートの内側に、この一年で慣れてしまった38口径の銃をしまい込み、待ち合わせ場所に赴いた。
 情報局の踏み込みの可能性も考えて、待ち合わせに指定された場所から少し離れた所で、煙草に火をつける。
 公園の略中央に聳えるモニュメントの影にある灰皿を使用しているのだとポーズを付けながら、相手を待つ事10分で、一つの人影がライルの視界に入った。
 一見、細身の男のようだった。
 深くフードを被って、胸元に赤いスカーフの様な物が見え隠れする。
 それよりもライルの気を惹いたのが、その人物の肌の色だった。
 突然姿を消した彼女と同じ、白くもなく黒くもない中東系の肌の色。
 ライルの方にゆっくり歩いてくるのを目を細めて確かめて、赤い瞳を確認した所で、ライルの足は動いた。
 それはどう見ても、焦れた彼女だった。
 もつれる様に駆け寄って、顔の大半を隠しているフードを剥ぎ取る。
 そこには思った通り、苛烈な赤い瞳が存在していた。
 別れた時よりも、輪郭が少し細くなった気がする。
 髪の毛も少し伸びた。
 それでも見間違える筈が無かった。
 変わらずに愛しい名前を告げようとしたライルだったが、その声は彼女の声に遮られる。
「ソラ……」
「『ジーン1』」
「…なっ…!」
 声を詰まらせたライルを詰る様に、ソランの視線は刺す様に鋭かった。



 『刹那』の促しで、ライルは小さなホテルの一室に場所を移した。
 そこで漸く刹那は上着を脱ぎ、ライルと対面する。
 そして静かに口を開いた。
「何故、カタロンなんかに所属している」
 静かな口調だが、そこには明確に怒りが籠っていた。
 喧嘩腰の彼女に、ライルは肩をすくめて戯けてみせる。
「一年ぶりの再会で、早速それかよ。もっと他に言う事あるんじゃねぇの?」
 怒りたいのはライルの方だった。
 愛していると言っていたのに。
 一人で考えるなと言っていたのに。
 それなのに今目の前に居る彼女は、ライルに一言の相談もなしに、この一年、ライルと別の生活を選んだのだ。
 お互いにらみ合いながら、それでも初めに口を開いたのは、珍しくソランの方だった。
「……今すぐ、カタロンから身を引け。軍と会社に怪しまれるのも時間の問題だ」
「それは出来ないね。俺にだって思想はある。CBに参加していたお前になら解るだろ」
 本当なら、こんな話をする為に再会したくはなかった。
 もう一度会えたら、ライルはソランに言いたい事が沢山あった。
 だが、ソランはそれを口にさせてはくれない。
 苛立を治める様に、ライルは懐から煙草を取り出して、一本口にくわえて火をつける。
 白い煙がゆっくりと天井付近を回り、空気に消えていく。
 その様子は、お互いの思いが届かない、二人の言葉を模しているようだった。
 窓際に置かれた小さなテーブルセットの一つの椅子に腰掛けて足を組み、ライルは口を開く。
「…で? 『刹那・F・セイエイ』の用件はそれなのか? 一方的に押し付けるだけのそんな用件だけなら、俺はこれを吸い終わったら帰る。『ライル・ディランディ』の自宅の住所は置いていくから、今度は『ソラン・イブラヒム』と『ニーナ・イブラヒム』に会いに来て欲しいね」
 ライルは、自分が今の思想に至った起因の一つの、愛しい二人の名前を告げた。
 その意図は正しく目の前の刹那に届いたらしく、彼女は唇を噛み締める。
 全てはそこから始まったのだ。
 刹那は暫く唇を噛み締めていたが、ふっと一つ息を吐き出して、体の力を抜いた。
 そして、ジーンズのポケットから一本のデータースティックらしき物を取り出して、ライルに差し出す。
「……これは?」
 訝しげにライルがそのスティックを眺めて問いかけると、ため息混じりに刹那は口を開く。
「カタロンがまだ入手出来ていない軍の情報と、CBの情報が入っている。カタロン捜査の要項も含めてだ」
 刹那の言葉に、ライルは思わず立上がった。
 彼女がそれを知っているという事は、即ち。
「……戻ったって言うのか、CBに」
「………」
 無言の返答に、吸いかけの煙草を灰皿に押し付けてライルは刹那に詰め寄った。
「ニーナはどうした? どこに居る?」
「……教えたら、お前が俺の代わりにあの子の側に行ってやるというのか?」
「な……に?」
 皮肉気に唇をゆがめて、刹那は今のお互いの状況を訴える。
 刹那の言う通り、今の状況では、世情では、どうしようもない事なのだ。
 世間に興味の無かったライルが反政府運動をする程歪んだ世の中で、ソランがCBに戻る事を、誰も止められない。
 そして、その方法が一番子供の為になるのだ。

 微妙にずれた話題に終止符を打ったのは刹那だった。
「今日お前に会いに来たのは、交渉の為だ」
「交渉?」
 メモリースティックを自身の赤い瞳に寄せて、刹那は口を開く。
「この情報はお前の好きにして良い。カタロンに渡すのも自由だ。だが、これを受け取ったら……」
「……受けとったら?」
 刹那は一呼吸置いて、真剣にライルを見つめた。
「俺の側に来い」
 その言葉に、ライルは呆気にとられた。
 てっきり、またカタロンを抜けろと言われるとばかり思っていたからだ。
「……俺がお前の側に行く、その利点は? まさかお前の性欲処理とか、馬鹿な事じゃないだろうな」
「狙撃手が欲しい。正直、今は人手不足だ」
「で、仕方なしに俺に頼みに来たのか? けど、カタロンを抜けろとか言った割には、俺の身の安全に関しては更にヤバくなる気がするけど」
「カタロンのMSに乗られるよりはマシだ。あんな旧式の物に乗られでもしたら、それこそ命は無い」
 ソランの言葉は、相変わらず的確だった。
 ライルの事をどれだけ重んじているのかが、少ない言葉でライルには伝わった。
 それでもそれは、以前の彼女と何の変わりもない、『ライルの意思』のみを尊重する物だった。
「……で、同じ様に思想を持つなら、カタロンよりもCBの方が良いって言いたい訳か」
「俺にハッキングされる程度の組織じゃ、到底軍には敵わない。勝率の高い場所にしてくれ」
「でも俺は、CBの思想には賛同していない。命を張る意味がないね。まだお前の事を守ってくれって言われた方が、行く気がする」
「俺は、誰かに守ってもらわなければいけない程弱くない」
「はっ、そうだよな。だから俺の前から消えたんだもんな。俺なんて結局、お前には必要の無い男なんだよな」
 ライルの言葉に、刹那はぴくりと震えた。
「………必要だから、勧誘に来た」
「それは、駒の一つとしてだろ? お前にとって必要なのは、俺って言う個人じゃなくて、単なる狙撃手だ。知り合いの中にたまたま居た、銃の扱える人間だ。それも、お前の言いなりになりそうな、だ」
 俯き加減の刹那の顔を、顎を掴んで無理矢理上げさせる。
 そこにあるライルが愛した瞳を、どうしても見たかった。
「プロポーズして、振られて、更にお前の手伝いしろって、ホントに俺ってお前にとってなんな訳? 惚れさせた男は、自分の言いなりになるとでも思ってるのかよっ」
「そんな、事…思っていない」
「どうせなら情報なんて持ってこないで、お前の体で俺の事勧誘しよろ。ソッチの方が、まだ男として見られてる気がするぜ!」
 細い女の顎から乱暴に指を外して、ライルは再び窓際に戻った。
 ソランがライルの事を思っているのは、よく解った。
 死んで欲しくないと望んでいてくれている事も。
 それでも、一方的に守ろうとするその姿勢が、ライルを苛つかせた。
 いつだってこうなのだ。
 ライルは守られる立場で、ライルを愛する者達は、ライルを守る者。
 どんなにライルが同じ位置に立ちたいと望んでも、叶えられた事は無かった。
 同じ様に愛しているのに、どうしてこもう違う。
 幼い頃、兄のニールに対して感じた事と、同じ事を今ソランに感じた。
 それでもライルの中のソランに対する想いは消えない。
 同じ様に会いに来てくれるなら、反政府勢力に加担しているライルを心配するならば、『一緒に逃げて欲しい』と言われた方がどのくらい嬉しかったか。
 ライルの思想を無視して、ソランの思想もライルの為に捨てて、そう言ってくれればライルは二つ返事で頷いた。
 世界も何も関係のない、普通に愛し合う事を示してさえくれれば、ライルは他に何もいらなかった。
 苛つく心を隠す事も忘れて、ライルは再び懐に手を忍ばせて、煙草を口にくわえる。
 煙草と一緒に手にしたライターで火をつけようとした所で、背後から衣擦れの音がする事に気が付いた。
 何かと思って振り向くと、ソランが服を脱いでいた。
「………なにして、」
「お前が望むなら、方法なんて何でも良い」
 呆然とした空気の中、懐かしい肌色がライルの目の前に晒されていく。
 ライルの口から落ちた煙草が、小さなテーブルの上をバウンドした。
 ジーンズを脱いで、スタンドカラーの民族調のシャツのボタンに手をかけながら、縋る様な視線でライルに懇願する。
「……お前の好きにしていい。だから、俺の元に来い」
 あまりの事に、ライルは開いた口が塞がらなかった。
 献身的というには、あまりにも過ぎた行為だ。
 言われたままに服を脱ぐソランに、ライルはこみ上げる笑いを止める事が出来なかった。
「は……はははっ! そこまでするなら、どうしてあの時、俺のプロポーズを受け入れなかった!? それとも体を差し出してまで、俺は組織に欲しい人材なのか!?」
 決定的な所は撥ね付けておいて、尚もライルを側に置こうと言う。
 ライルはソランの貞操観念は理解しているつもりだ。
 体の関係になるまでのソランの様子は忘れない。
 それでも尚、彼女は肌を晒したのだ。
「あの時は、ああするしか無かった。一度軍に目をつけられれば、逃げる術は無い。それにお前が巻き込まれるのは解り切っていた事だ。それだけは、避けたかった。お前には、普通の生活を送って欲しかった。それが、俺とニールの望みだった」
 ソランの最後の言葉に、再びライルの心は乱れた。
「……つまりは、所詮お前は兄さんを忘れてないってことか。俺の側に居て、俺の希望を叶えたのも、兄さんの言葉があっての事だった訳だ」
 もう、どうしたらいいのか解らなかった。
 ソランは無意識にニールを追っているのだと思った。
 それでも多分、希望的観測かもしれないが、心からライルを思っているのも確かなのだろう。
 この究極の場面に来てライルはもう一度チャレンジしたくなった。
「じゃあ、俺がお前の希望通りCBに入ったら、俺と結婚するか? 体も人生も、俺の自由にしていいって言われれば、考えてやるよ」
 ライルの言葉に、ソランは上着の胸元を抑えて口をつぐんだ。
 ソランの手の中に何があるのか、ライルは知っている。
 ニールとの約束の物が、きっとあるのだ。
 以前から、ソランは風呂の時と眠るとき以外、ニールとの婚約の証を肌身離さず着けていた事をライルは知っていた。
 ライルと付き合う様になってからも、彼女は外さなかった。
 死んだ婚約者とお揃いの、金の細いチェーンのネックレス。
 困った事があると、そこを握る癖がソランにはあった。
 意識的か、無意識かは解らなかったが、どう見てもそれは、ニールに縋っている様にしかライルには見えないのだ。
 胸元を握りしめて俯いたソランは、小さく囁く様に口を開く。
「……俺は、お前が考えている様な女じゃない」
「なんだよそれ。何の逃げ口上? ハッキリ俺と結婚するのなんか嫌だって言えばいいだろ」
 投げ捨てる様なライルの言葉に、ソランは顔を上げてライルを睨みつけた。
「ああ、嫌だ。…自分の家族を死なせたテロ組織に属していた女と結婚する事を考える様な男なんて、ゴメンだ」
 初めて聞かされるソランのCB以外の経歴に、ライルは思わず眉を顰めた。
「……なんだ、それ。お前、KPSAにいたのか?」
「ああ」
「それ、兄さんは知ってたのか?」
「知っていた」
「じゃあ、兄さんも含めて、俺たち兄弟はお前を愛する資格は無いって言いたい訳か? 兄さんとは婚約までしておいて? 子供まで作っておいて? それで俺は嫌だって、そりゃどんな理由だよ」
 馬鹿げた話に、ライルは肩を竦める。
 ライルが家族をテロで失ったのは、まだ14歳の頃の事だ。
 年齢差から計算すれば、その頃ソランはまだ6歳。
 とても自分の意志で行動していたとは思えない。
 あまりにもあっさりと流されてしまったソランの重大な秘密に、当のソランは呆気にとられた顔をした。
「……なにも、思わないのか? 俺は、お前の家族が死んだテロを行った少女を見送っているんだぞ?」
「じゃあ、お前が指示したのか? それは違うだろ? っていうか、何歳の子供を使ってるんだよ、その組織は。それだけは最悪だね」
 それに、ライルはそこまで過去にこだわってはいなかった。
 確かにテロは憎いと思った。
 けれど、それはテロ行為を行わせている首領が悪い訳であって、末端の、略洗脳されている人達は、逆に自分たちと同じテロの被害者だと言う意識があった。
「で、それを言えば俺が引くと思ったのか? 残念だったな。まあ別に、俺はCBにいかなくても、カタロンで世界を変えるよ。お前とニーナと、大手を振って歩ける世の中を作ってみせるさ。その上で、また追いかけ続ける。絶対に諦めてなんかやらない」
 胸元を握り続けるソランの手を奪う様に取り上げて、ボタンの外されたシャツから覗くネックレスを睨みつける。
 ライルの視線を追いかけたソランは、ライルが思ってもいなかった事を口にした。
「カタロンだけでは、絶対に世界は変わらない。そんな組織だけに縋り付いて、死に急ぐ様な男もゴメンだ」
「別に、死ぬ為にいる訳じゃない。生きて、お前達と生きていきたいから所属してるんだ」
「確率の低い所を選んでいる段階で、俺にはそれは通じないっ。……俺はもう、置いていかれるのはゴメンだ!」
 叫ぶ様に訴えて、ソランはライルから自分の腕を取り返して再びネックレスを掴んだ。






中途半端な場所ですみません…。この前だと1のネタバレになり、この後もしかりなので…。